2008年8月10日日曜日

TRPGは物語を創造する遊びであるか?

 書く予定だった記事を放置したままにまた思うがままに書き散らかす。
本日のお題は『TRPGは物語を創造する遊びであるか否か。』


 この答えは「システムによる。」としか言いようがない、というのが私の考え方。
天羅のようにシステムそのものが『物語を創造する』ことを謳っているならば、そのシステムは物語を創造するために作られたシステムであるわけだから、「当該システムは物語を創造するものである。」と断言できる。

 じゃあ、特にこれといって謳っていないシステムはどうなのだろうか?

断言してしまうならば、『物語を創造するためにわざわざプレイするのは商売でやってる人間だけだ』と思っています。

 …TRPGは物語を造らない、と言っているわけではないですよ?
ただ、物語を造る事を目的としてプレイなどしていない、と言っているだけです。

 そもそもが。
RPGってのが個々が自分の分身を操りつつ繰り広げる即興劇のごとき性質を持っているわけで。
ならば、その即興劇に『まじめに』取り組んでいるならば一つのセッションが終わった時には何らかの物語が結果として出来上がっているものなのではないのか?と思っているのです。

 なにも、『良い物語を作るのだ』と構える必要などなにひとつないじゃあないか、と声を大にして言いたい。

大体にして、『良い物語』とはどういう物語でしょう?
山あり谷ありの冒険活劇?
それとも、困難に立ち向かう葛藤と克服の話?
はたまた、恋愛劇?それとも悲恋か?
一番頑張った人が報われる話?
それとも、努力とは必ずしも報われるものじゃない、世の中は欺瞞に満ちていると示す話?

 『良い物語』の定義は一体誰がするのでしょうか?

何かしらの教訓をもたらすのが良い物語でしょうか?それを求めるのなら寓話があります、どうぞお読みください。
ハッピーエンドだけが良い物語でしょうか?ならばシェイクスピアの作品はほとんどが良い物語から外れますね。
壮大な話だけが良い物語でしょうか?掌編に満たないような作品はそもそも物語とは認められませんか?

 『良い物語』の前にはかならず『私が考える』が冠されているのではないですか?

自分が目の前にしているキャラクターシートを、架空の世界に存在する一個の人間(若しくはそれに類するもの)と見たときに、彼が精一杯自分(と仲間)の力で生きている。
それだけで、『良い物語』が出来上がるには十分なのではないでしょうかね。


 もっとも、最初からコンセプトが『派手な話を造る』というシステムは除きますよ?ええ。

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