2009年9月18日金曜日

黙々と己の為すべきだけを…

「頼りにされる」「頼られる」

状況はいろいろ考えられるが、頼られる側の反応は様々だろ。
あるものは名誉に感じるだろう。
あるものは重圧に感じるだろう。

私の場合は?

 怒りを感じる。

言い切るが、私は人格の面ではいろいろと規格外の部分もあろうが、能力的には大量生産規格品の合格基準に達する程度と評価している。

 いくらでも代用のきく部品の一つに過ぎない、ということだ。

頼る、というのは少なくとも能力的に評価が高いものに対して低いものが行う行為だと考えている。
大量生産規格品程度を「頼る」ということは、誰にでも出来る程度の作業を実行する程度の能力がないか、或いは「出来るが自分ではやる気がない」かのどちらかだろう。
 私は後者の率が高いと考えている。(そもそも前者が発生する場面など経験が浅いことによる知識不足が発生した場合程度しかありないだろう。)

 他人が楽をするために、なぜ骨を折らねばならないのか。

これが、利害関係の生じない事柄…純粋に趣味でしかない行為…ならば目もつぶろう。
だが、経済活動は話が別だ。
好き好んで他人の作業まで背負い込む気はさらさらない。

 基本的に、私の物事に対する姿勢というのは「各々が己の為すべきを為せば何も問題は起こらない」という思想の上にある。
故に、己が為すべきを為さずして他人をアテにする輩に対しては憤りしか感じない。
繰り返しになるが、大量生産規格品程度を頼るなどという行為は「俺は楽をしたい、だから貴様がやってくれ」というに等しいと思うからだ。

己の為すべきを為して、「ああ、終わった」と思うと同時に自分より作業規模の小さいはずの輩の尻拭いが発生する状況はどうにかならんものか…




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