時代劇だろうが、現代劇だろうが。
勧善懲悪の魅力、というのはわかり易い二分化なんだろう。
判り易い善と悪の区分。
悪事といえば世界征服だったり、大量虐殺だったり。或いは紛争の糸を裏で引いていたり。
そして善の側はそれに立ち向かう側として描かれる。
何が善で何が悪なのか、というのはとてもデリケートな問題だと私は思っている。
ので、それは敢えて触れない。
だから、今は単純に世の中にある「勧善懲悪もの」のどこが魅力なのか、という話だけをしようと思う。
さて。
「勧善懲悪もの」の場合、本当に悪役はどこからどう見ても救いようがない位の「悪者」として描かれる。
……そうじゃなければ「これ、本当に悪人なの?」という疑問が浮かぶからだ。
疑問が浮かんでは勧善懲悪ものたりえない。
そして、善の側も。
誰がどう見ても…といっても日本に入ってくるのは西欧文化的なという前提があるけど…善男善女。
或いは無垢な子ども。
本当に無垢な子どもなんているのか、とか。
いや、それは見方によれば…なんて思ってはいけない。
その辺は「お約束」という奴で。
間略して。でもって「最後に正義は勝つ!」で終わるのがお約束。
こういう単純化やお約束、ここだけ押さえてあれば楽しめる…というのが魅力なのかもしれない。
とはいえ、私自身はこの「勧善懲悪」てのは作り物の世界では娯楽だから、と割り切って受け入れるが現実の世界にはそんなものはないと思っている。
最初にも触れたように、善と悪に関する考え方っていうのは、思想信条・宗教によって多種多様の様相を呈していると思うから。
そもそも、日本昔話の代表的な「桃太郎」なんて、ある日突然桃太郎が鬼を「攻めに行く」侵略の話だしね…。
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きょう、約束ー!
そして小太郎は西欧に勧善懲悪みたいな約束すればよかった?