2007年11月14日水曜日

No title

 フリーセッションとシステムについての記事を読んで触発されたので、久々にTRPGカテゴリで呟いてみる。

 まず、前提として。
昔はSWのフリーセッションの場を提供しているサイトに出入りしていた時期もありました。
今は思うところあって離れていますがね。
 現在は有志でプレイしていることもありますが、メインはオンラインのサークルで活動しています。


 サークル、ということですから、固定メンバーなわけですが。
軽く分類するだけで

  • 物語重視派
    (システムがやりたいことの邪魔をする?ならば変えてしまえばよい。という考え方。)
     3名
  • ルール重視型
    (これをしたいからルールを変えろ?答えはノーだ。ルールに会わせて行動を選択せよ。という考え方)
     2名

となっている。
水と油のような組み合わせだが、一定のルールが有るために問題は起きない。

 GMのみが場の裁定者であるという不文律

 物語重視タイプのGMなのだから、ルールの弾力運用もあるだろう。
 ルール重視タイプのGMなのだから、この場は却下もされるだろう。
互いに「自分と違う考え方を持つ仲間が同じ場にいる」と認識し、かつ考慮する。
たったこれだけのことで摩擦は回避できる。
摩擦が起きるのはこれをしないからだ。

 さて、冒頭でフリーセッションサイトから離れている、と書いた。
フリーセッションこそ、プレイスタイル・セッション傾向・その他諸々について様々な嗜好が入り乱れる。
出入りし始めた頃は管理人の方針もそれなりに浸透していて、多様性を許容していたように思う。

今はどうか?

離れているのがその答えだ。

 多種多様な人が出入りする場こそ、揺るぎない一定の規則(それは解釈の入り込む余地のない明文化されたものが好ましいと私は考える)と、「自分と違う考え方を持つ仲間」に対する許容だろう。

2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    僕も負けず劣らずフリーセッションで遊んでないんですが、ついついああいうことを書いてしまいましたね。
    GMが結局決定するので、傾向をみたり、とりあえず提案だけはしてみたりといろいろやりようはありますね。
    ところで物語重視派っていうのはちょっと微妙な言い回しのような気がします。
    物語を重視しているからルールを変えるのかなぁ。
    僕はそのルールを適用しておもしろくなる前提が崩れているから変えるんだと思っているんですけど…。
    たとえば危険な判断をさせる前提としてその危険を認知させたかとかです。
    でも、他の人から見たら微妙なところなのかもしれません。

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  2. SECRET: 0
    PASS:
    ほとんどの方は比重はどうであれ中庸であることが多いと思いますよ。
    私自身はルールが基準となっているだけで、TRPGは物語を創造する遊びであるという意見を否定する事はありません。
     まぁ、実は肯定もしてないんですが。
    �� 物語を重視してルールを変えるのか、ルールを適用すると面白味に欠けるから変えるのか
    これに関しては私の目から見ればどちらだろうが同じ事ですね。
    どちらにしろ、「都合でルールを改変する行為」には変わりません。
     本文でも書いていますが、この行為自体を責める気はありません。そういう遊び方を好む方も当然います。
    ただ、私自身がシステム側からルールの改変に関するガイドラインが提示されているものを除き、そういった遊び方を好まない、と言うだけですね。

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