2019年10月31日木曜日

指向とか自認とか

 社会に多様性を、とか、偏見を無くしましょう、とか昨今よく耳にしたことあるのですが、じゃあマジョリティに分類されてる人ってどれだけ自分を掘り下げたことがあるんだろう、って常々疑問だったりします。
 何、って「性指向」と「性自認」と「ジェンダー」の話です。

一般化した話をする気はないので自分の事だけ言いますが。私は自分の「生物学的な性別」は是だと思っているのですが、じゃあ自分がその性別なのか?と聞かれると少なくとも是ではないと思っています。
なんで?とここ10年位もやもやしていたのですが、昨今その辺について用語整理してくれている人たちがいるようでそれに触れて自覚したんですが、私は「物理的な性別」と「社会的な性別」てものを完全に分離して考えていて、イコールで結びつけるという思想自体がないから「自身の物理的な性別を肯定しているならば、社会的な性別をも肯定する」というのが成り立っていないんですね。
 つまり、私は自分が物理的(生物学的)に持っている性について違和感なく肯定しているのですが社会的には少なくともその性ではない、という性自認を持っています。
 
 我ながらメンドクサいですね。

じゃあ、性指向はどうなのよ、となるともっとめんどくさくて、これも15年くらいぐるぐる考えた結果なのですが、「自分が他者にとって性対象となることを想定できない」てのが一番近いのかな、と。なんというか、性愛を伴う恋愛てのは私にとって外から眺めて居るものであって自分には関係のないものだと思っているようです。現実感がないんですよ、現実感が。我が身におこっていたとしても。
 生涯の連れ合いは欲しいなとは思っても恋人とか伴侶とかはピンと来ないのはそういうことなのかな、と。

 まぁ、脳内で誰かと誰かのラブいきゃっきゃうふふは妄想するんですけど。

そんな状態なので、性指向については「他人事すぎてよくわからない」てのが実体ですね。

 最後に「ジェンダー」ですが、四半世紀以上半世紀以下生きている中で、あんま意識していた記憶がない、というのが実体です。最早昔の様に「労働イコール男の役割」という時代じゃないですし。子どもの頃から男だから女だからというのをうるさく言われなかったのもあるのでしょう。愚痴っぽくは言われましたが、だから変えろというのは言われたことがないので。性自認と性指向についてはぐるぐると何年も考えていたわりにジェンダーについて掘り下げて考えるってこと自体していないという事実が、ジェンダーを重要なものだと考えていないって事だと思います。社会が要求してくるのはジェンダーの筈なのですがねぇ?これはちょっと謎です、が、その辺の圧を感じない環境にずっと居るってことなのでしょう。
 これに関して言えることは、「少なくとも物理的な性と紐付くジェンダーに縛られて生きる気はない」ということだけですね。

 ところで、私、自分はマジョリティ側だと思ってるんですけど、実際どうなんでしょうね。

0 件のコメント:

コメントを投稿