お世話になっているTRPG遊戯会さんに登録している3rdキャラのSSかなぁ。
SS板にでも載せれば良いんだろうけど…。
確かに、過去のもろもろのことを忘れ去ってはいるが、決して記憶がないわけではない。
ただ、単純に、”どうでもよいこと”にまで記憶領域を割いていないだけ。
だから。
忘れたくても忘れられない、鮮烈な記憶というのは幾つか持っている。
今まで生きてきた年月およそ180。
本人は大して長く生きていない、とは言うが人間種なら6世代がすっぽり収まる。
そして…かの有名な『存在法』の時代もまた、生きてきた。
彼女の故郷は大陸の東側…だったらしい。
らしい、というのは故郷ではさして迫害を受けた記憶がないからだ。
故郷を離れ、西へ、西へ…。
『存在法』により”生命を維持する権利”すら認められない土地。
何度か、危ない目には遭った。
幸いにも長期的に拘束をされたこともなければ、私刑に遭ったこともない。
………目の前でその境遇となったものを見たことならば何度もあるが。
一時的な暴力に晒される、あるいは”玩具”として扱われる、そういったことも無かったわけではない。
辞めてくれ、助けてくれ、死にたくない。
そんな事は言うだけ無駄。余計に喜ばせ、加虐心をあおるだけ。
だがその一方で無抵抗では…面白くない、と行為は過激となる。
だから。
適当に反応して、心を石にする。
災害に遭ったかのように過ぎ去るのをひたすら待ち…、生き延びた幸運に感謝する。
誇りはないのか、と同族より蔑まれたこともある。
だが、誇りで命が繋げるのか?誇りが明日の糧を運んできてくれるのか?
……誇りを失うくらいなら死んだ方がマシだ、などとは思わない。
生きつづけるためなら…そう、短い生涯の天寿を全うする瞬間に。
『私は最期まで生き延びた!』と笑う為に。
生命を繋ぐのに、何の役にも立たないのなら誇りなど要らない。
闇を歩き、木立ちに隠れ、息を潜め。
そんな風に何年か経った頃。
『存在法』が廃止されたという話が耳に入った。
太陽の下を歩ける!歓喜が心に満ちた。
どこかの知らない、物好きでお節介焼きの誰かに感謝した。
だから。
もう、忘れてしまおうと思った。辛いことは。
いま、生きているから良いじゃないか。
いま、生きていられるというだけで幸福なのだから。
だが、大して長い間ではなかったが『存在法』のある世界で過ごした時間は決して”どうでもよい”ものではなかった。
忘れよう、としても忘れられない。
記憶の、奥の方にしっかりと根を下ろし…消えることがない。
引き裂かれる同胞の肢体。
うめき声すら立てることのできない…弱りきった同朋。
怨嗟の科白を吐きつつ…処刑された同朋。
思い出すだけでも忌々しい投げかけられた科白の数々。
忘れようとするのが、土台無理なのだ。
だけど。
そんなもの達だけじゃないのを知っている。
手を差し伸べ、暗闇の中から救い出そうとしてくれた人々が居るのを知っている。
だから。
忘れた、という事にした。一切を。
記憶にないわけじゃない。でも、忘れたのだ。
過去は、過去でしかない。
確かに”現在”へいたる過程であり、さまざまな影響を与えているのだろう。
だけれども。
”現在”の愉しみを妨げる過去なら。
そんなものは、要らない。
「今、生きて、ここにいる。それだけで充分なのよ。」
あとは、この先の短い人生を、どう愉しく過ごすか。
それだけが肝要だ。
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