2005年8月4日木曜日

つらつらと…

お世話になっているTRPG遊戯会さんに登録している3rdキャラのSSかなぁ。
SS板にでも載せれば良いんだろうけど…。



 確かに、過去のもろもろのことを忘れ去ってはいるが、決して記憶がないわけではない。
ただ、単純に、”どうでもよいこと”にまで記憶領域を割いていないだけ。
だから。
忘れたくても忘れられない、鮮烈な記憶というのは幾つか持っている。


 今まで生きてきた年月およそ180。
本人は大して長く生きていない、とは言うが人間種なら6世代がすっぽり収まる。
そして…かの有名な『存在法』の時代もまた、生きてきた。
彼女の故郷は大陸の東側…だったらしい。
らしい、というのは故郷ではさして迫害を受けた記憶がないからだ。


 故郷を離れ、西へ、西へ…。
『存在法』により”生命を維持する権利”すら認められない土地。
何度か、危ない目には遭った。
幸いにも長期的に拘束をされたこともなければ、私刑に遭ったこともない。
………目の前でその境遇となったものを見たことならば何度もあるが。
一時的な暴力に晒される、あるいは”玩具”として扱われる、そういったことも無かったわけではない。
辞めてくれ、助けてくれ、死にたくない。
そんな事は言うだけ無駄。余計に喜ばせ、加虐心をあおるだけ。
だがその一方で無抵抗では…面白くない、と行為は過激となる。
だから。
適当に反応して、心を石にする。
災害に遭ったかのように過ぎ去るのをひたすら待ち…、生き延びた幸運に感謝する。
誇りはないのか、と同族より蔑まれたこともある。
だが、誇りで命が繋げるのか?誇りが明日の糧を運んできてくれるのか?
……誇りを失うくらいなら死んだ方がマシだ、などとは思わない。
生きつづけるためなら…そう、短い生涯の天寿を全うする瞬間に。
『私は最期まで生き延びた!』と笑う為に。
生命を繋ぐのに、何の役にも立たないのなら誇りなど要らない。


 闇を歩き、木立ちに隠れ、息を潜め。
そんな風に何年か経った頃。


『存在法』が廃止されたという話が耳に入った。


 太陽の下を歩ける!歓喜が心に満ちた。
どこかの知らない、物好きでお節介焼きの誰かに感謝した。
だから。
もう、忘れてしまおうと思った。辛いことは。
いま、生きているから良いじゃないか。
いま、生きていられるというだけで幸福なのだから。


 だが、大して長い間ではなかったが『存在法』のある世界で過ごした時間は決して”どうでもよい”ものではなかった。
忘れよう、としても忘れられない。
記憶の、奥の方にしっかりと根を下ろし…消えることがない。
引き裂かれる同胞の肢体。
うめき声すら立てることのできない…弱りきった同朋。
怨嗟の科白を吐きつつ…処刑された同朋。
思い出すだけでも忌々しい投げかけられた科白の数々。
忘れようとするのが、土台無理なのだ。
だけど。
そんなもの達だけじゃないのを知っている。
手を差し伸べ、暗闇の中から救い出そうとしてくれた人々が居るのを知っている。


だから。


忘れた、という事にした。一切を。
記憶にないわけじゃない。でも、忘れたのだ。


過去は、過去でしかない。
確かに”現在”へいたる過程であり、さまざまな影響を与えているのだろう。
だけれども。
”現在”の愉しみを妨げる過去なら。
そんなものは、要らない。


「今、生きて、ここにいる。それだけで充分なのよ。」


あとは、この先の短い人生を、どう愉しく過ごすか。
それだけが肝要だ。


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