お世話になっているTRPG遊戯会さん。
昨晩も例によってセッションに参加してきました。
キャラクターは3rdのDEF。
年齢たぶん180歳前後。
いわゆる”闇の種族”であり、また現在暮らす地では20年前まで”生命を存続させる権利”すら持たなかった種族。
セッションの内容としては、同じ冒険者の宿に所属する者の家族の敵討ちだったのかなぁ?
多分内容的には少し重いテーマだったと思う。
思うんだが…。
この女、家族との縁全部切って放浪してた根無し草だから…。
家族への情念とか、そういうものとは無縁の位置にあり。
その点では少し残念だったかなぁ、とも思う。
さて。タイトルとぜんぜん関係ないことばかりつらつら書いているが。
「命の値」ってなんだろう、と考えてみる。
私個人としては、”生きとし生けるものは皆等しく生きつづけようと試みる権利がある”と思っている。
そしてその一方で”命の値は一定ではない”とも思っている。
私は私の命の値こそがもっとも重いものだと思っているし、自分の命に比べればどこかの知らない誰かの命なんて知ったことじゃない。
知ったことじゃない…が、そのどこかの知らない誰かが死ぬのを期待しながら生きるほどに自分の命が上等なもんじゃない、とも思っている。
……この辺は屋根の上でもちらっと触れた気がする。
さて。
ここで最初の”生命を存続させる権利”に話を戻しましょう。
一体、この世の中の誰が、命の値をつけるのでしょうか?
『生きている価値がない』と『殺す価値もない』。
この二つは違うようで同じ事を言っていると思う。
『生きている価値がない』と思っている存在が目の前に”ある”時、どういう反応を示すだろうか?
見なかったことにするだろうか。
目障りだ、といって”処分”するだろうか。
『殺す価値もない』と思っている存在が目の前に”ある”時、どういう反応を示すだろうか?
そもそも視界にすら入らないだろうか。
視界に入るのすら不快だ、とどこかへ”処分”するだろか。
では、『生きている価値』も『殺す価値』もないと思っている存在が目の前に”ある”時、どういう反応を示すのだろうか?
心の、奥の方に問い掛けてみる。
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