ぼやいてるだけだから面白くもなんともないですよ。
実際のところ、子どもの頃から子どもが苦手だった。
若い、と呼ばれる時代には子どもと若者が苦手だった。
若いと呼べない今になっても、やっぱり若者と子どもが苦手だ。
子どもの頃、自分が子どもじゃなかったかというとそうじゃあない。
自分はきっちり「子どもらしい」子どもだった。
にもかかわらず、子どもが苦手だった。
つまるところ、同属嫌悪。
若い、と呼ばれる頃。
私はちっとも「いまどきの若者」ではなかった。
ある意味枯れていた。
何が?若さ、というより生命力が枯渇していた。
生命力が足りないのは今もなのだけど。
兎に角、若くない私は「若者」が別の人種に見えて仕方が無かった。
周りにいる「若くない若者」たちとはそれなりに気があった。
若いと呼べなくなった今。
やっぱり「いまどきの若者」と「子ども」は苦手だ。
子どもが苦手な理由は子どもの頃とはちょっと違う。
今は、動きが読めない事が苦手だ。
「いまどきの若者」に関しては…ますます異人種化が激しく。
意思の疎通そのものが難しい。
思考の根本が違っている相手と、言語体形が違っている相手と、会話なんぞ成り立たない。
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僕は子供に何か言うときに、子供にあった言い方をするっていうのが苦手でしたね。
ほんとはこう思ってるんだけど、相手は子供だし、こういわなきゃ伝わらないって言われても、なんか嘘ついてるみたいで嫌でした。
たまにNHKで小学校の授業風景を見ていると、…なんかその教え方本質的じゃないよなぁとか思います。それは大学まで行ってるからこその視点で、確かに手っ取り早くてもきっと小学生にはたぶん理解不能なんですが…。
それでもまぁ塾の講師のバイトをしていた頃は、”この人の言っていることは難しいけど、なんか誠実な言い方をしてくれてる”と感じてついてきてくれる人もいました。
まぁ伝わるも八卦伝わらぬも八卦ですね。
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> まぁ伝わるも八卦伝わらぬも八卦ですね。
意味がまるっきり伝わらずに「はぁ、コイツ何言ってんの?」と思われる事の方が幸せな瞬間もありますね。
まるっきり意図しない解釈をされて、その誤解の上に理解を重ねられたらもうどうしたらいいのか。
語彙を磨いただけじゃあ会話が通じないと気づいた今日この頃。
あれですか、語彙落とさないとだめですかorz